3月は、気持ちが重くなる。
9年前の3月11日からずっとずっと・・・
あの日のあの時間。
あの場所、あの揺れ、体感、風景、目に映ったすべてが
今も鮮やかによみがえる。
絶望だと思った福島。
2011年3月10日以前に戻ることなど決してないことはあの時から覚悟していた。
悔しくて哀しくて切なくて・・・心が揺れた。
あの日から、数日後、私は走り出した。
何年すぎても まだ収束などしているはずもなく
あの時の覚悟はなんら変わらないけれど…
この9年間
信じられないほどのたくさんの応援をいただき
いつの間にか希望の光が見えて無我夢中で突き進む中
何事もなく今日一日を静かに過ごせたことを素直にうれしいと思う。
あの時の無邪気なこどもたちが健やかに育っていることをうれしく思う。
3月11日は、テレビを見ないとずっと思ってきた。
この日だけの特番は、私は見なくていい。
苦しくなるから…見たくない。
ずっとずっと
福島のローカル番組はどうして全国放送にならないんだろうって思ってきた。
福島の現状は、日本中の人に見てほしいと思ってきた。
辛かったけれど・・・たくさんの人支えてもらって
あの時に泣いていた母親たちが
今 たんぽぽサロンのスタッフにも
なってくれているのは奇跡のような現実。
窓を開けるのが怖くてたまらなかった私たちが
今日は マスクをして 空気の入れ替えと笑いながら
窓を思いっきり開いていた。
一瞬、なんて幸せなんだろうと感じた。
9年が過ぎた3月、ウイルス感染の不安の中で
日本中のこどもたちがまた哀しい想いをしていることに
胸が痛む。制限の中で毎日を過ごすこどもたちの身体も心も心配だ。
9年前、突然、外に行くことも自然に触れることもできなくなった
あの時の親子の苦しみを 私は決して忘れない。
どうして・・・私たちだけ苦しみを背負わなければならないのか
悔しかった。激しい怒りがあった。負けたくなかった。
こどもたちを守りたかった。だから頑張れたのかもしれない。
そして、今、辛い思いをしている親子のために
できることを 精一杯やりたいという気持ちは同じ。
このたんぽぽの居場所は、「ひとりじゃないよ」と伝えたくて
お茶を飲んでホッと一息できるように
ありのままの自分で泣いたり笑ったりできるように作ったんだもの。
こどもたちがいっぱい笑える場所にしたかった。
子どもがが笑顔になってその笑顔を見て親が笑顔になって
親の笑顔を見て 子どもが幸せになるように
親子のふれあい遊びも続けてきたんだもの。
何気ない日常がどれほど豊かであるか
ふつう・・・ってどういうことなのか
当たり前なんて・・・ないんだってこと
小さな幸せが どんなに大切かってこと
これからも ずっと伝え続けたい。
大人は、こういう時こそ 朗らかに強く落ち着いて過ごさないと。
あの日から、出会ったすべての皆様
たんぽぽサロンを応援してくださったすべての皆様
日本だけでなく世界とも繋がれたご縁
寄り添ってくださった皆さんの温かさも忘れない。
心から感謝して また 走り続けたいと強く思う。
そして あの時の問題は9年過ぎた今も解決していない。
まだ・・・終わってなどいない。
他人事だと 思わないでほしい。
無関心ほど、残酷なものはない。
辛さを経験した人はたくましくて強くて相手の気持ちを
思いやれる優しい人になれる。ならなきゃね。
明日も元気に笑って過ごそう!
(とりとめもなく書きました。とりあえず書いておこうと思いました。
3月11日、みなさんそれぞれの想いがあると思います。
そのきもちはその人だけのもの。 どれも大切にしてほしいなぁと思います。)